TRPGが好きっ!.com > 創作活動 > 皆夢・前書き > エピソード2・前編

皆夢(エピソード2・前編)

 うわ! 危ねえ。マジであの世へ旅立つとこだった……って云うか自害だし、さっさと行ったらいいじゃんてな感じ。そこら辺の十六、七、八の女性(要・高校在籍)が側に居たら、上記のようなツッコミを俺に呉れる事だろう。
 でも俺は、五月蝿い。と超濃厚ニコチン水をぶっかけるだろうがな。

 結果、何かの間違いで感覚が戻って来てしまった。脳波のブレと喉の激痛もそれを追随する。厳しい。しかし、走馬灯の話は本当だった。だってこんな鮮明、且つ、生生しさまで思い出してしまうのだもの。
 誰も居ないのに体験談を熱弁しながら、ふと、真横に一瞥を与えると時計があった。いつもけたたましい音で俺を不快な目覚めにさせる忌ま忌ましい絶叫時計が。
 奴が示す短い方の針先に二。長い方の針先に七がある。要するに現在二時三十五分である事は俺の痴れた頭でも十分理解出来た。しかし周りが暗い。それは単純に闇夜なのか、意識の欠落の一歩手前なのかは解らない。
 そんな苦しみの境界線上を辿ると不思議に様々な想いが交錯する。俺の存在が消える事で周りはどう感じるか。置き去りにした家族は崩壊したりしないだろうか。明日のテレビ番組は面白そうだな……等。エトセトラ。以下割愛。
 そんな想いが人を生きさせるのだろう。俺もそんな気持ちになってきた。

 かあっ、駄目だ。駄目だ駄目だ。そんな事考えてんじゃねえぞ。これじゃ元の木阿弥だ。
 そもそも、下らない日常のループを馬鹿面で漂うのは嫌だから消えるんじゃないのか? 特にあの「社会」というケモノ道は悲劇的に俺を急速に惑わせただろうに。

 あらら?

 玄関の方角から何か騒がしい音が聞こえる。そう気づいた俺は、軋む身体を力一杯捩らせて玄関の方角を伺うと、日常必ず拝見してきた顔二つが血相を変えながら俺に向かって何か叫んでいる画が暗い視界の中で展開されている。
 お迎えか。と思った瞬間、視界の高さが七センチメートルほど、がくん。と下がり、それきり何も見えなくなった。
 ち、またかよ。

EPISODE 2 「平和に去勢された侍」

 俺、こんな土地で死ぬんか。

 二十歳を迎えてから数えて七ヶ月目のある日、頭の中がこんな事を、ぼそっ、と呟いた。

 その理由は、とある工場の裏手の狭い駐車場を通りかかった際、とある些細な事件を目撃したからである。この事件の登場人物は四人。
 先ず一人目は、前頭から頭角にかけて禿げており、目尻が極端に垂れ下がった中年男。名前を仮に、好色助平(こうじき・すけべい)としておこう。
 二人目は、アフロにほぼ近いパーマヘアに、目付きが恐しく鋭く、見るからに数多くの因業を犯したと思わせる形相をした中年女。名前は……そうだ、西太后子(にし・たみこ)にするか。
 三人目は、白髪で肌も白いのだが、陽が放つ紫外線のお陰なのか、顔の所々に染みが有り、常に不安げな表情を浮かべている老婆。名前は……、うーん、何だか面倒臭くなってきたな。とりあえず、白鬼紫外子(しらき・しげこ)に決定。
 ラスト。頭皮に髪の毛が、べったり、と貼付いており、目が異常に大きく、今にも飛び出しそうな目玉を小刻みに動かしている小柄な女、こやつも中年。名前は日野日出子と命名。

 下らない命名をやっと終えた所で、些細な事件の説明をしよう。まあ、一言で表わすと、俗称で云うリンチなのである。先ほど説明した通り登場人物の男女比は一対三。この状況で普通に考えられる局面は、紫外子と日出子に羽交い締めされた助平が太后子にぶん殴られている画だと思うが、違った。日出子と太后子に羽交い締めにされた紫外子が助平にぶん殴られている画なのである。女でしかも老婆である為なのか、顔は酷く腫れ、鼻や口から血を流しながら嗄(しわが)れた声で助けを呼んでいる様は、ヒトが持つ悲愴感を遺憾なく発揮させるほど酷いものだった。
 俺はリンチという局面は幾つか見た、または、遭遇した(無論、俺が被害者側で)事はあるけども、それは十代の若者とか暴力稼業の方々がそれぞれ加害者と被害者の役割で演じていた画であり、見ても、おー若いなー。とか、ううわ外道やね。とか、顔は止めなボデーボデー。とか思いつつ見て見ぬ振りをして通り過ぎて、それっきり忘れられるものだったが、今回は流石に無理っす。本当、勘弁して欲しいと気分が暗くなったね。めっちゃ・やったれん。と久々に口にした。

 頭の回転の早く正義感の強いヒトは、そこで警察やら工場の責任者等を呼びつけて平和的解決をするだろうけども、頭のキレは各駅停車並みで偽善者である、わたくし優壱はただ見ているだけだった。片眉をへの字にしてね。したら、助平が暴力を止めて紫外子に何やら怒鳴った。ここで再び衝撃を受ける俺。何て云ったと思うよ。俺の牛乳返せ! だって。どゆ事よ。しかしその後、助平や太后子が、ぎゃあす、ぎゃあす、と叫んでいたのを聞いていたら、ようやっと話が見えた。どうやらこの工場では午後三時になると、瓶に充填された牛乳を支給する慣習があって、何かしらの偶然で紫外子が助平の牛乳瓶を破壊したのが原因のようだ。

 やっと話が見えた所で、改めてリンチを眺めてみる俺。原因のレベルは小学校一年から三年までのものなのに、そんな原因で手前勝手にリンチを演じているのは中年三人。がはは、ギャップがデカ過ぎるぜ、大馬鹿野郎ども。と心が叫んだ途端、俺の喉が、下らねえ! と怒鳴った。遠くに見える地平線に聳(そび)え立つ山脈に木霊するくらいに。
 そんな声に驚いた俺だが、向こうも同様に驚いたようで、中年達はリンチを中断し俺の方を向いた。血の気を引いた俺はそのまま立ち去ってしまった。そして、四百米ほど歩いた所で中年達の方を振り返ってみると、まだ、俺を、見ていた。その表情はリンチを中断された怒りの表情では無く、何処となく気力の無い、悲しげなものだったのが印象的だった。

 この時、俺は決意した。この地に居たら俺はあんな死んだ顔をする大人になるやもしれぬ。そうだ、都へ行こう。首都トーキョーへ。あそこなら、きっと。
 その後、リンチを見捨ててミスチルのニシエヒガシエを口ずさみながら帰路についた。

 

* * *

 そして、俺は逃げた。

 普通に三流中学を出、普通に四流工業高校を出、普通に五流専門学校を出た俺は、あのリンチを見てからというものの、血気盛んな小男と化していた。夜中に金属バットを闇雲に振り回したり、意味も無く八キロメートル全力疾走して失神してみたり、裏ビデオを買い漁ってみたりと異常な空回りぶりだった。
 そして宣言通り将来親父の跡を継ぐと約束していたのにも拘わらず一転。親に内緒で首都トーキョーに構える情報処理会社に就職を決め、今宵、長年根づいていた山形大陸を脱す。

 ここまでの道程はかなり険しく、困難を窮めたものだった。

 まず第一にやらねばならなかったのが金銭の調達である。俺の親は銀行を全く信用しない思想で、老後に消費する分の金銭を床下に貯め込んでいるのを知っていた。そこで決行の一ヶ月前から親の居ない午前八時から午後六時にかけて万札を三枚ほどくすねては、人生ゲームを行う際に用いる、額面が一万と記載されたドル札を三枚入れる作業を続けた。
 こうして貯まった万札九十枚、着替え各種、ポケットコンピューター、筆記用具、寝袋をアディダスのドラムバックに詰め込んで早速脱出せんとしたその時、俺の背後に影が落ちた。

 親父。

 修羅にも似た形相で今にも八つ裂きにせんばかりの御様子。俺はビーチフラッグばりの瞬発力でドラムバックを引ったくり窓から飛び出た。しかし俺の部屋は二階。ふんぎゃあああという情けない声と数秒間の浮遊体験を演じた後、極不自然な形で地面に着地した。奇跡的に骨は折れなかったが、脚が酷く痺れ身動きが取りづらい。
 ところが火事場の糞力と云う先人のコトバは正しかった。自然に足が走り出たのだ。脳は危険信号を発しながら走るのを止めようとしているのに、足はそれを完全に無視して動いているという、文字通り暴走していた。

 俺はそんな危機的状況にやや興奮してゲラゲラ笑っていたが、それも直ぐに冷めて感情が痛みだけに変わると、がぎぎ、ぐごげぐごぐ。と形容し難い声を発すのだった。
 そうこうしている内に駅に到着した。しかしそのまま電車に飛び乗ってバイってな感じに事は運んでは呉れなかった。
 予め切符を購入していなかったのだ。
 正に千慮の一失。となると、切符を購入する手間が当然発生する訳で、その分の所要時間が逃亡時間に上乗せされる。故に親父が俺に追いつく可能性が加算されるのであって、酷く焦燥に駆り立てさせた。
 ややばやばばば、買わなわなな。って、口にしたぐらいに。

 兎にも角にも切符を購入せねばならん。と、ぎごちない足取りで窓口に向かうも、ぐは。誰も居やしねえ。売る気あんのかコラ。俺は怒りに任せて側に据えてあった壊れた腰掛けを窓口目掛け、投げつけてやった。
 結果、待合室と事務所を隔てる硝子板を木っ端微塵に砕け散らせた。すると、事務所奥のドアから老爺が、のそり、と出現。彼の目は酷く死んでおり、取り分け人生に満足している様子では無い表情が一番に印象づけられた。老爺は床に散らばった硝子の破片に全く気づかず、俺に対して非常に不器用な接客対応を始めた。

「らっちゃい」(いらっしゃいませ)
「……お晩です」
「何処さ行ぐの?」(行先はどちらまで?)
「東京」
「東京があ。最近の若人は次々と出よる。何処さ逃げたって結局人はおるし、文化もそう違わん。変わるのは見せ掛けの環境だけなのになあ」
「おっさん!」
「あ?」
「トーキョー」
「あ……ああ。へぇへぇ」

 老爺は窓口側のデスクに備え付けてある、リアルタイム処理専用の端末に向かったが、途中、長く伸びる電気コードが彼の足に絡まり、ああん、という女々しい悲鳴と共に派手な転倒。あらら、やっちゃたってな感じで冷たく眺めていると、顔を真っ赤にした老爺は尻ポケットに入れていたサバイバルナイフで電気コードを荒々しく叩き切った。切り口から激しい火花が飛び散り、彼はまた、ああん、という声を挙げた。
 呆れ果てた俺は、また椅子を投げ付けてやろうかなんて画策していると、いつの間にやら 老爺は端末を操作していた。が、操作していた手は直ぐ止まってしまった。

「兄ちゃん、ちょっと、こさ待ってでな」(一歩も動くな、フリーズ!)

 彼はそう云うと、事務所奥に引っ込んだ。
 頭ん中が白くなった俺。どうなんのこれ? としか考えられなくなり、がくり。と頭を垂れ下げた。だが、ほどなく事務所奥のドアが開いた。
 秒速で見上げると、今度は老婆が現れた。一瞬、女装したのかな? と思わせるほど容姿が酷似していた。実際そうだったらシュール極まりないのだが。
 老婆は笑いつつ独り言を呟きながら、こちらに向かって来た。無論彼女も無惨に散らばった硝子に気づいた様子は無い。

「ヨシオさんたら機械にホント疎いんだからもう……」

 老婆は慣れた手付きで端末を操作しだしたが、やはり戸惑っている。
 そして、また奥から老爺ヨシオが現れた。彼は端末を大袈裟に覗き込み、破顔した。俺はそれを見るなり、不細工な笑顔やなあ、うげぇ。とテンション・ダウン。

「なぁ、タケさん。分からんだろ?」
「何だべ、この英語。いい、あある、あある、おお? あある、れい、いち、さん?」
「暗号だべ。俺っちゃ年寄りだがら役所連中に試されてるんだあ!」

 ヨシオは一方的な被害妄想を唱え出した。老婆ことタケさんはヨシオと同調して共に泣き叫んでいる。ああ、もう間に合わない。こうなったら俺が端末を操作するしかない。と一大決意。カウンターを乗り越え端末を覗いてみると、絶句した。
 通信エラーが起こっている。
 キーボードの全てのキーを叩いても全く反応が無い。原因はヨシオだった。先程、彼が激昂して叩き切った電気コードはオンライン接続の要である電話線だったのである。なんて事するんだあのじじい。
 物理的な破壊はどんなパソコンの達人であろうともお手上げだ。部品を変えるしかない。これで窓口で切符を購入する事が不可能となった。

 突然カウンターを乗り越えた俺にびびって腰を抜かしていたヨシオとタケさんに向かって、車掌に頼んで買う。と告げ、プラットホームに向かったその時。

 とうとう親父が俺の姿を捕らえた。

 何故か親父の左手には血達磨に成り果てた男三人の襟首をまとめて掴んでいた。右手には九十度に折れ曲がった金属バットが握られている。
 正に修羅と化してる俺の親父を見て、不意にブラックアウト。

 おまわりさーん、おまわりくん。ここに変質者が居てますよ。しょっぴいてくんなまし。 え? お前の親父じゃないかって? 確かに俺の親父は釘と木を叩きつける生業だが、人は叩く存在では無い事くらい分別がついてるわい。
 例え出来無いのであれば、それまでの男。豚箱に押し込んでクールダウンさせてやっておくんなまし。頼んます。
 ああ、お父上。例え前科一犯のならず者に成ろうとも、ヌシの息子は何時までもお待ち申し上げております。さめ、ざめ。さめめざめ。

 勝手に親父が警察にしょっぴかれる場面を想定して軽く泣いていると、親父が俺に向かって呼び掛けてきた為、一気に現実へ引き戻された。

「優壱! こいつ等に脅されてあんな大金持ち出したんだろう? 安心せい! もうお前を狙う者などおらん。戻って来い!」

 初め、何の事やら見当つかなかったが、親父が掴んでいる三人の顔をよくよく眺めてみると、五年前、俺を女子高の校門に全裸で縛りつけた連中、即ち、元「キラー・ループ」の川上、上田、生島だった。
 事件後、お昼のワイドショーのオープニングに飾るほどまでに発展し、彼等は県警に逮捕(十五歳だった為)。村松が少年院送致。他の四人は保護観察処分となった後、家族を巻き込んで団子虫の様な生活に追い込まれていった。だからあの事件以来、俺は一切接触していなかったし、彼等もそうしなかっただろう。

 そんな衝撃的な再開に戸惑っていると、山形駅行きの汽車がホームに入って来た。俺の頭の中はカオスに満ち溢れていたが、逃げる事を忘れた訳ではなかった。気づけば本能で汽車に飛び乗っていた。そして一刻も早く発車するように強く、強く、強く祈った。祈り続けた。
 しかし、このローカル線は一度止まったら最悪の場合十五分停車する。どうやら今回はその最悪になりそうだ。飛び乗ってから十分ほど経っているのに未だ動く気配が感じられない。畜生、こんなんだから深夜ラジオ(AM)で「日本最低のローカル線」とか「廃線に汽車が偶々走ってる」とか「やっつけ運行」とか罵られるんじゃ。
 ……おい、待てよ。改札口からプラットホームまで到達するのに、普通に歩いたとしても一分強。俺は「飛び乗ってから十分ほど経っている」と時計を確認した上で口走った。奇跡が起こらなければ今頃、襟首を掴まれて実家に連れ戻されているはず。

 とりあえず現時点で奇跡が起きている。
 俺は祈っている手を解き、満面の笑顔で車内を見渡すと、俺のハウメニーいい顔とは裏腹に乗客達の顔はこの世の終わりを思わせるかのような歪んだものだった。そんなに俺の面は悲劇的なのかと落胆しかけたその時、外から鈍い物音がした。その瞬間、乗客達は発狂したかのように叫び出す。
 何事かと出入り口から身を乗り出してホームを確認すると、親父が、父親が、お父さんが、背中に文化包丁が深々と貫かれ、ぐったり、としていた。
 幼い頃からの記憶が俺の脳を次々と傷つけていく。そして、視界が涙で爆裂した。
 があああがあああ、と絶叫する俺。
 爆裂した視界が少しづつ回復していく中、上衣に夥しい量の返り血を付着させた生島が腰を抜かしてる体制で奇妙な笑みを浮かべているのが見えた。俺に向けて。明らかに、ざまあみろ。と云っている表情だった。

 刹那。
 女の声で「ゴォーウ・トゥ・ヘェル!」と俺の中で鳴り響いて。

 このゴロツキ外道非道め。死に腐れえっ! と汽車を飛び出し満身創痍の生島を襲撃。頬骨、頭蓋骨、胸骨、鎖骨と握り拳で打撃を加えた。が、全く効いていない御様子で、直ぐ様、返り打ちに遭ってしまった。
 襤褸切れ同然の男一匹に勝てないなんて、俺の手足は雑務をこなす為だけしかないんか? 戦えない。戦う事の出来ない己を嘆き、子供の様に大声で泣いた。ああ、ちくしょう。泣き吃逆(しゃっくり)が止まらないっす。だれかとめて。ひぐひぐ、とまんねえよ。ひぐひぐ、とめろよ。ひぐっぐう。
 すると、生島は俺を罵倒しながら不様に横たわっている俺を蹴飛ばしてきやがった。痺れるという感覚が断続的に伝わるのを覚え、訴えたら幾らほど賠償金取れんのかな、などと、超現実的な逃避を熱演。
 しかしその代償か、右膝の皿が悲鳴を上げた。そんなの知らん。そこだけ痛みを感じなくなった。それも知らん。端っこでいじけてろ、あほう……などと嘯いてみたものの、右脚はもう動かなくなっていた。さらば右足。俺は無垢な少年に右脚をもぎ取られたバッタと似た立場に。
 その頃、俺の頭の中では、ポマードを過剰塗布した頭髪に、七三分けを施した検察官が「異議有り!」と威風堂々とした反論を捲し立てている場面に突入。
 暫くすると打撃が止んだので、何、疲れたの。ってな感じで見上げてみると、乗客達が生島を取り押さえていた。
 騒ぐな馬鹿野郎。おめぇなんか一生豚箱に入ってろ。人殺し。親不孝者。お前十七歳だろ、な、十七歳だろ。流行ってるもんな、ぎゃははは。あはは。ばか。
 銘々の罵声がホーム内に木霊する。まるでパンクロックやテクノバンドのライブ会場の中に居るような混沌感が俺を支配してゆく。

 

 最早どうでも良くなってしまった。夢でも見てるのだろう。目を閉じて暫く経てば俺の部屋に戻っているはず。寝よ。ぐう。
 ……。
 駄目だ、コンクリ床が痛くて寝れねえ。何処か心地よい寝床は無いものか。俺は右脚を負傷しているはずなのに、すっ、と立ち上がり、周りを見回した。
 数人の男が折り重なっている図、俺のパパが俯せで横たわっている図(刃物付き)、ほとんど人が居ない汽車内部、真顔で惨劇の様子をじっと見ている車掌二人、駅の外から数人の野次馬。
 俺はこれらの現状を確認した上で、汽車内部へ再び焦点を合わせ、凝視したまま侵入。通路の中央付近まで歩み寄った所で、そのままぶっ倒れた。
 そして、凄まじいまでの鼾を立て、一時的に成仏。

 しかし、成仏している俺の耳が車掌の話し声を拾う。

「おめ、警察さは、連絡しだのが? 」(君、通報したのかね?)
「あい」
「返事は、はい! だべ? なんぼ云っても分がんねなー。前科もんはこれだがら駄目だ」(返事は「はい」とお云い。前科者である貴様はそんな事も知らぬのか)
「……」
「お、何だ、そんな顔して、文句あんなら、はっぎりど、云え! はっぎりど!」(反抗的な態度をお取りになるのならば、言葉で表すがよろし)
「……」
「ぢいせ! でがい声で、云えって、ゆってっべ!」(声、低っ! 人並みに話さんかい、ワレこら)

「ちびでぶ」

 肉と骨が同じタイミングで弾かれる音が聞こえた。

「辞めちまえ! テメの顔、二度と、見たぐ、ねえっ!」

 車掌同士の会話は止んだ。その間、何者かが俺の顔を凝視している感を覚えた。何故か、酷い悪寒が走る。
 すると、ちびでぶ、と暴言を吐いた方の車掌が狂ったかの様に大笑いしだした。今まで各人各様の鳴き声が聞こえていたが、これを皮切りに車掌の笑い声しか聞こえなくなった。
 直ぐにでも、立ち上がって状況を確認してみたかったのだが、いかんせん俺と身体が冷戦中である為、断念せざるを得ない所存であります。と、見知らぬ誰かに声明発表した後、再度成仏。

 って、また聞こえるよ。人の声が。それに付けても、あの車掌。俺の顔見て笑いやがった。ワテの顔はそないに珍妙・珍奇・珍無類なのか。無礼な輩だ。ぷんすか。そこに直れ、切り捨ててしんぜよう。
 若き剣士、龍ノ瀬優之進と成りて、ゴロツキを手討ちにするという殺陣に差し掛かった瞬間、狂気じみた笑い声に被さる形で山形訛りの悲鳴が聞こえ、俺風勧善懲悪路線時代劇に緞帳がおりた。二度も妄想を遮られ、俺、やったれん、と心の中で絶叫。
 もういい、家に帰る。脱走は明日の朝一に順延して頂きます。チケットの払い戻しは最寄り窓口まで……って、下らねえ。取り敢えず今晩はふかふかの布団で酒池肉林系の夢でも見るわい。どあほうが。さ、帰ろ帰ろ。どっこいしょっと。
 身体との冷戦が先ほどの愚痴を云い終えた瞬間、和解が成立。最後に掛け声を上げると同時に短く太い二本足が地に根付き、小さいお目々が、くわっ、と見開いた。
 さて、帰るか。と出入り口に身体を向けると、そこは閉じられていて出入り不能となっていた。しかも窓の外の風景は絶えず右から左に流れている。
 つまり、山形駅に向かって発車していたのである。

 これじゃ家に帰れん。どないすんねん。と暫し途方に暮れたが、先程まで駅にて途方に暮れまくっていたせいか、直ぐに飽きてしまった。しょうがないので車内を見回してみる。
 乗客は一人も居らず、俺以外の人間は運転席に居る車掌、只一人だけだった。車掌は俺に背を向け、ただ前の風景を眺め続けている。
 あんな惨劇があったというのに、汽車を走らせるとは、何という常識知らずだ。説教してやろう、おっほん。と、和尚気取りで運転席に向い、しゃなり、しゃなり。と歩くと、背を向けていた車掌が唐突にこちらを向いた。

 そして車掌と俺の視線が一致すると、最悪な奇跡が起こってしまった。

続く。

[最終更新日 2015.7.15]