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裸の歯

コンセプト

 「歯に衣着せぬ」→「衣を着ていない歯」→「裸の歯」
 てなわけで、ここは世の中にある不自然なこと、奇妙なこととかをざっくりと切り伏せてしまおう、というコーナーです。
 その割には旅行記や体験記が多いようですが、まあ気にせずに。

コンテンツ

22.事実と真実(2008.10.7)
21.HSP(Highly Sensitive Person)について(2008.3.19)
20.旅行記・喫茶マウンテン編(2008.2.24)
19.人口減少と高齢化について(2008.1.3)
18.旅行記・日光もてぎ編(2007.12.13)
17.旅行記・旭山動物園編(2006.12.17)
16.断食道場体験記(2006.10.3)
15.ヒーリングスペース体験記(2006.8.21)
14.旅行記・蔵王編(2006.3.25)
13.備忘録・WEBサーバの設定(2006.2.2)
12.新しい差別の構図(2005.3.9)
11.旅行記・博多編(2005.1.1)
10.旅行記・イーハトーブ編(2005.1.1)
9.旅行記・熊野伊勢編(2004.5.1)
8.実質賃金の減少を暴く(2004.3.21)
7.日本が壊れてしまわぬように(2003.11.10)
6.旅行記・仙台編(2003.1.7)
5.旅行記・北海道帰省編(2002.8.6)
4.有事法制(2002.6.14)
3.眠気覚まし(2001.4.20)
2.バリアフリー(2001.3.31)
1.タバコ(2001.3.29)

最新コラム

事実と真実

 「真実はいつもひとつ!!」とは「名探偵コナン」の決め台詞ですが、この考え方は危険じゃないのかな、と思っています。
 真実という言葉を調べてみると、「歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされる事」とあります。しかし、「多くの場合、真実は事実に対する人の評価(真偽)を伴う」ともあります。何が歪曲で、何が隠蔽で、何が錯誤かというのは人が評価するものなのです。だから、真実は評価基準が違えば変わってしまうもののようです。
 ということは、「真実をひとつ」にするというのは「評価基準をひとつにする」ことになります。

 では、事実はひとつなのでしょうか。ですがこれも、「事実は、観測されなかったものを含む全ての起こった現象に対して適用される表現であるが、往々にして現象として観測された事柄を指す」とあります。誰かが観測しなければ、だれも「事実」を「事実」だと認識することができないのです。
 「事実」と類似する言葉として「現実」があります。「現実は観察者の主観に於いて事実と認識された全ての事象」のことで、これは「現象として観測された事柄」とほぼ同じです。
 ややこしくなるので、ここでは仮に「事実」は起こった現象そのもの、事実を観測して認識されたものを「現実」と呼ぶことにします。そうすれば、「事実はひとつ」であり、「現実は観察者の主観が異なれば異なってしまうもの」になります。

 人は「事実」を観測して「現実」として認識し、「現実」に自分なりの評価を加えて「真実」を導き出します。つまり、「真実」は「認識」と「評価」という二重の主観を通して得られた主観的なものなのです。「真実は人の数だけ存在する(新世紀エヴァンゲリオン)」とも言われます。
 しかし実際は、人の数ほどは存在しません。物事の「認識」の仕方と「評価」の仕方がほぼ同じであれば、ほぼ同じ「真実」にたどりつくからです。
 認識の仕方と評価の仕方には、先天的なものと後天的なものの両方が影響を与えます。先天的なものは遺伝などによって決まる脳の構造によるもので、以前書いたことがあるHSPや、エニアグラムなどは先天的なものです。後天的なものは親や学校などによる教育や、各種メディア(ニュースやノンフィクションのみならず、小説やマンガやゲームなどのフィクションも含む)によって入手した情報などです。
 メディアなどによる情報が画一的になると、認識の仕方と評価の仕方が画一的になり、人々が導き出す真実も収束されていきます。日本では一般的に「社会主義国は情報が画一的で自由主義国は情報が多様」と思われていますが、この発想自体が自由主義国側からの一方的な情報による発想であることを忘れてはなりません(自由主義国が本当に自由だとは思わないほうがいいよ、ってことです)
 話がそれました。とりあえずここで言いたかったことは、「真実はいくつもある」ということと、「ほぼ同じ真実を信じている人がある程度は存在する」ということです。

 もともとほぼ同じ真実を信じている人たちもいますが、意識して「真実を共有する」こともできます。それは「評価基準を共有」することによって実現します。評価基準を変えずに真実を共有しようとしても、共有したはずの真実を自分の基準で評価し直してしまうので、定着しません。
 立場が上の人や国が下の人や国に「真実や評価基準を押し付けるのは共有ではない」ですし、逆に下が上の「真実や評価基準を鵜呑みにすることも共有ではありません」。「共有は相手を対等の存在だと認めたときにのみ起こる」ものです。
 対等というのは、宗教的な話になりますが、すべての人は神(仏や自然や死などと置き換えてもいいでしょう)の前に等しい、という感覚でしょうか。仕事や収入や成績などに差があっても、本質的な部分は等しいという理解をもって接するということが、対等ということだと思います。社長や親など、目上の人と同じ待遇を求めていいという意味ではありません。
 「真実」は短い言葉で表現できるので、見かけ上共有することは比較的簡単です。しかし「評価基準」はその人の生まれつきの性質や人生の蓄積などによって作られるものなので、そう簡単に共有できるものではありません。そのためには「理論」ではなく、「受容」と「共感」が必要だと思います。相手の持つ評価基準を見つめて、「ここが違う」と思うのではなく、「ここは同じ」「ここまでは共有できる」と思うことが大事。
 そして、ほかの人と同じ部分を見つけるというのは、楽しいことでもあると思います。

 もちろん、この意見を無理に共有してほしいとは言いません。共有してくれたらうれしいな、とは思いますけど。

21世紀が「共有」の時代と言われることを、僕は望みます。

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[最終更新日 2008.10.7]   [▲ ページトップへ ▲]

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